恐山の帰りに寄ってみた青森県三内丸山遺跡。
ウィキ解説では次のようです。
『三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)は青森県青森市の郊外で発見された縄文時代前期中頃から中期末葉(約5500年前-4000年前)の大規模集落跡。所在地は青森市大字三内字丸山で、沖館川右岸の河岸段丘上に立地する。2000年に国の特別史跡に指定。遺跡跡には住居群、倉庫群のほか、シンボル的な3層の掘立柱建物が再現されており、資料館もある。2009年8月現在、青森県教育庁文化財保護課三内丸山遺跡保存活用推進室が発掘調査を行っている。』
最近のDNAによる調査では発掘された植物系食料のDNAが一致して周辺で栽培をしていたことが判明、さらに三内土器が南米でも確認されています。
ここで目を引くのが6本の柱で出来たタワーであります。
闇の日本史はそのときのこんなポイントを解説しております。
『それは「穴の空いた間隔」にあるのだ。
その間隔は三内丸山では正確に、4.2m=420cm
それはほとんどが「35の倍数」だったのである。三内丸山のボランティアガイドさんは、次のように説明している。
「縄文期に物差しがあったのではないか」
それはきっちり「35cmの定規」だったのではないだろうか。』
さらには、この柱の建てられている方位は下記を示しています。
これは吉野ヶ里遺跡のAブロックにやはり天文軌道に関係する建屋が設けられているという事実もあります。
夏至の日没 春分秋分の日出
↑ /
1○・・・・・・○2
北 ・ ・
\・ ・
・ ・
・ ・
・ ・
3○・・・・・・○4
北 ・ ・\
\・ ・ 南
・ ・
・ 70cm ・
・ >--< ・
5○・・・・・・○6
/ \
春分秋分日没 ↓ 南
冬至の日没
学者は権威のシンボリックだと解説するが果たして、そうなのでしょうか。