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ムービー化計画

 投稿者:荒尾和史  投稿日:2009年11月28日(土)21時32分26秒
返信・引用 編集済
   やはり 吉祥姫さんの 癒し系音楽 を 聞きながら 神事や舞を観るのが
 一番 全体のバランスが とれているような気がします。

 昔、神社の映像に バックミュージックが 似合わないと 書いた記憶もありますが..
 勝負をかけた曲選択(エグザイルの舞や音楽と「蒲」や「宮」の取り合わせ)もありなのかなと。

 なお、下記で 使用されている楽曲は imovie で 初期に用意されているものです。
 また、リンク先のDVD経由でテレビで流れている映像で使用している楽曲は
  吉祥姫さんのサンプルを使用させていただいております。

http://www.youtube.com/watch?v=_q-idPUUlew

 

Re: 共通の「道」

 投稿者:とみた  投稿日:2009年11月28日(土)21時11分35秒
返信・引用
  > No.7388[元記事へ]

村崎樹里さんへのお返事です。

> プライベートなことをツッこんでナンですが、
> お父様は三重県のどちらでしょうか。
>
> 伊勢志摩・紀州(尾鷲あたり)・伊賀上野・・・・に、ヒットしますか?

 幼いときに死別して、墓も母の実家に移しましたので良く知らないんですよ。薄情ですね。国鉄関西線で子供のとき父の親戚を訪れた記憶があります。

戦後の酷いときです。津から乗り換えて亀山に向かいました。

浄土真宗ですから、丹羽文雄と同じく四日市地方だと思っています。個人情報でスミマセン。岐阜ー名古屋ー三重は高校野球でも応援しますね。
>
>
> 村崎は鳥羽市出身で、郷里の郷土民俗という切り口からいろいろ調べてます。
> 民間信仰が今サブテーマなので、紀州は熊野修験の影響や九鬼嘉隆の軌跡から、
> 伊賀上野は個人的に母方祖の出身地、てんで注目の地なんです。
> 生の昔語りなどはとっても興味のある領域なんですぅ。

今夏は奈良駅から昔の関西線沿いに伊賀上野ー柘植まで行きましたよ。
そのまま行けば亀山ー四日市ー名古屋ですが。柘植から草津線で近江の草津に出て古代史を探求しました。

草津(正確には守山市や栗東市に近い)の野洲川左岸には、伊勢遺跡がありまして、弥生時代後期の環濠集落があります。2-3世紀のクニの跡で、三上山の麓、棟持柱や祭殿、主殿の柱跡があります。千木もあったようです。なんとなく伊勢神宮の祖形を見る思いです。

伊勢神宮といえば、度会氏=外宮と荒木田氏=内宮の争いに興味があります。

何れも磯部と思うのですが、元来は渡会の地で、藤原氏と結んだ荒木田氏がのっとったと思っているんですが、真相はどうでしょうか。

地元だと語り辛いかもしれませんね。
 

紅葉 真っ盛り

 投稿者:とみた  投稿日:2009年11月28日(土)20時43分35秒
返信・引用
  >竹内さん

奈良詣でですか。 紅葉も見事ですね。
今朝NHKで、京都の北野天満宮のモミジ苑の紅葉を映していました。
それはそれは見事でした。

嵯峨野も綺麗でしょうね。

それで、私は近場の本土寺へ古女房と訪れました。

日蓮の高弟のお寺ですが、ビックリする程の見事な紅葉でした。真っ赤な葉と、黄色の葉と緑の葉が陽射しに輝いて、真っ盛りな紅葉に久しぶりにお目にかかりました。生きる喜びが感じられますね。

ディジカメを忘れたのが残念です。
室生寺辺りも最高ではありませんか。
 

なんとすばらしい平城京

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月28日(土)18時30分49秒
返信・引用
  ホテルへ向かう帰り道平城京によってみました。

およよ!? 太極殿現る!

なっとすばらしい 平城京。 (21世紀版)


本日は「まほろばウォーキング」+平城京説明会に遭遇。
平城京太極殿跡をアピール!
 

醍醐寺の秋

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月28日(土)18時22分59秒
返信・引用
  来週から超多忙スケジュールとなるので、今週は相棒と爆発しようと決め私は
大好きな京都・奈良です。 先ずは始めての醍醐寺です。
始めて来たのが紅葉だと病み付きになるかも。 春は桜が有名。

全国の皆様にちょっとだけ、醍醐寺の秋をおすそ分け。
 

Re: 共通の「道」

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月28日(土)16時00分43秒
返信・引用
  > No.7383[元記事へ]

とみたさんへのお返事です。

> 竹内さんは、同郷の誼でいつも甘えています。私ごとでなんですが親父が三重県のでです

プライベートなことをツッこんでナンですが、
お父様は三重県のどちらでしょうか。

伊勢志摩・紀州(尾鷲あたり)・伊賀上野・・・・に、ヒットしますか?


村崎は鳥羽市出身で、郷里の郷土民俗という切り口からいろいろ調べてます。
民間信仰が今サブテーマなので、紀州は熊野修験の影響や九鬼嘉隆の軌跡から、
伊賀上野は個人的に母方祖の出身地、てんで注目の地なんです。
生の昔語りなどはとっても興味のある領域なんですぅ。

それはそうと一個下の投稿↓タイムスタンプがめっちゃうらやましい。

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

Re: 湯立ての歌

 投稿者:とみた  投稿日:2009年11月28日(土)10時10分10秒
返信・引用
  > No.7386[元記事へ]

闇の日本史@竹内さんへのお返事です。

以下は貴重な指摘だと思いますね。

魂の蘇生という話を女性の学者の井戸理恵子さんから窺ったことがあります。折口信夫先生の説を引用されていました。

三つの型がある。
猿女型、物部型、安曇型です。
猿女型は太陽の昇る高天原伝来魂の再生。物部型は石上鎮魂、モノを祓う。この二つの型が融合したのが、宮廷の大嘗祭とか新嘗祭の儀式。

安曇型は磯良舞で宮崎駿さんの映画”千と千尋”に出てくる、細男舞ですね。
これは、海部一族の鎮魂、亡者の魂を扱うのだそうです。
これが春日大社の若宮オン祭りに繋がっているようです。なぜ中臣氏や藤原氏の氏社に入ったか。
宮毘羅さんに窺ってみたかったですよ。

> 「いそらがさき」を漢字で書くと『阿度目(アドメ)ノ磯良(イソラ)』
> 【磯良】は、『海底を支配する海人の神』のことを言っています。
>
宇佐八幡と関係の深い、筑前志賀(シカ)ノ島(シマ)の祭りに、人形を船に乗せて、沖に漕ぎ出で、船の上から、海底を※(「くさかんむり/(さんずい+位)」、第3水準1-91-13)(ノゾ)かせる式がある。海の精霊を、祭りに参与せしめる為の、お迎へ人形であるから、元来は海底の神が精霊である訣だが、この場合には、お迎へ人形の方が、精霊の位置に変る。併し、更に考へて見ると、海底の精霊と言ふのが、実は、嘗ては、他界から来る権威ある神であつたのだ。又、さうした事は、逆にも行はれて居る。宇佐八幡に対すると、志賀ノ島の海底神は、精霊の大なるもの、と言ふ事になるのである。』
>
> 『筑前志賀(シカ)ノ島』は またまた、とみたさんが先日「白子」で書かれていた
> キーワード「白水郎」に関係します『万葉集』巻16「筑前国志賀の白水郎の歌十首」
>
>     荒雄らが ゆきにし日より 志賀の海人の 大浦田沼(タヌ)は
>     さぶしかるかも
>
> 福岡県東区に属する博多湾の島の名称です。

魏志倭人伝で、末芦国には人が海辺に住み、魚や鮑を捕らえるのが得意と書かれています。
これは3世紀の弥生時代終末期の姿。
後漢光武帝から蛇の模様のついた印をもらった志賀島、奴国の王は1世紀の話。奴の国の博多湾は奴の民の湾で、安曇氏の本拠とされています。


宗像とも近い。その周辺には卜部氏や壱岐氏もいるようで、いつやってきたのでしょう。秦氏も関係がありそうです。5世紀でしょうか?

中臣氏は彼らに接近するんでしょうね。
Q)
豊前の宇佐は秦氏で一杯ですが、宗像氏=胸形氏は秦氏と関わっていますか。?

秦氏が宇佐からも隼人を征伐に行くのは7-8世紀だと思います。宗像からも征伐に出かけていますか?

殺生が過ぎたので放生会で海に貝を放って慰霊をした。
 

Re: 湯立ての歌

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月28日(土)06時20分16秒
返信・引用
  > No.7385[元記事へ]

nickさんへのお返事です。

> 「いせしまの あまのとねらがたくほのけ おけ おけ
> 「たくほのけ いそらがさきにかをりあふ おけ おけ」
面白い話題ありがとう御座います。
すいません。 これはどこで聞かれたのでしょうか?

「いそらがさき」を漢字で書くと『阿度目(アドメ)ノ磯良(イソラ)』
【磯良】は、『海底を支配する海人の神』のことを言っています。

詳細は青空文庫 折口信夫『偶人信仰の民俗化並びに伝説化せる道』に出ています。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/18396_22465.html

この中でこんな箇所が出てきます。

『神楽に出る才の男が、猿楽風に物まねをするのは、神の暗示を具体化する、副演出と見る事が出来る。此は元来、才の男が精霊役で、別に、此に対する神があり、神がして、才の男がわきと言ふ風に、対立して演じた事から生じた、と解すればよい。併し、神・精霊の考へは、常に変化転換して居る。譬へば、宇佐八幡と関係の深い、筑前志賀(シカ)ノ島(シマ)の祭りに、人形を船に乗せて、沖に漕ぎ出で、船の上から、海底を※(「くさかんむり/(さんずい+位)」、第3水準1-91-13)(ノゾ)かせる式がある。海の精霊を、祭りに参与せしめる為の、お迎へ人形であるから、元来は海底の神が精霊である訣だが、この場合には、お迎へ人形の方が、精霊の位置に変る。併し、更に考へて見ると、海底の精霊と言ふのが、実は、嘗ては、他界から来る権威ある神であつたのだ。又、さうした事は、逆にも行はれて居る。宇佐八幡に対すると、志賀ノ島の海底神は、精霊の大なるもの、と言ふ事になるのである。』

『筑前志賀(シカ)ノ島』は またまた、とみたさんが先日「白子」で書かれていた
キーワード「白水郎」に関係します『万葉集』巻16「筑前国志賀の白水郎の歌十首」

    荒雄らが ゆきにし日より 志賀の海人の 大浦田沼(タヌ)は
    さぶしかるかも

福岡県東区に属する博多湾の島の名称です。

いらんこと書いてすいません(名古屋弁)。
 

湯立ての歌

 投稿者:nick  投稿日:2009年11月27日(金)21時40分56秒
返信・引用
  湯立て神事の神楽らの映像を
拝見しました。

巫女さんが登場するのは
初めて拝見しました。


湯立ての歌
と云うのがあるそうですが、、

「いせしまの あまのとねらが
たくほのけ おけ おけ」


「たくほのけ いそらがさきに
かをりあふ おけ おけ」

ところで、「四万温泉おやじ3人旅」と
あったので、てっきりご当人かと。。
裸では。。。まさか。。TV番組だってさ。

http://hayato.com/

 

熱中人

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月27日(金)20時53分47秒
返信・引用 編集済
  結構見ている番組でNHKの「熱中人」という番組があります。
先日は「鉄分補給」と題して、鉄道マニアの方々でありました。トイレタンクに
熱中する少年、そして何よりビックリしたのが車窓をただ撮り続ける方。
忙中すると言うことは人から見ると奇妙ですが、自分の中ではパラダイス
なんですよねぇ!

ということで車窓.comを見つけました。 凄いです!
車窓に撮影者が映っていないところが味噌だとか。

明日は久々奈良へ休暇です。

 

Re: 共通の「道」

 投稿者:とみた  投稿日:2009年11月27日(金)09時57分40秒
返信・引用
  > No.7379[元記事へ]

村崎樹里さんへのお返事です。

>> 憶測の域を出ませんが、
> やはり白子は白い砂の海岸ってのが名前の由来として代表的な説だし、
> 海産物も「その手は桑名の焼きハマグリ」に近く、海女さんの活躍の場は少なそうです。
> 海女さんは鮑に代表される岩場にひそむ獲物を対象とした漁がほとんどだし。

村崎さん ありがとうございます。

竹内さんは、同郷の誼でいつも甘えています。私ごとでなんですが親父が三重県のでです

から東海三県とはなんとなく親近感があります。

白子の件は竹内さんと村樹さんの説を採用して眉唾として却下します。安曇、宗像、隼

人、住吉など海の民の比較がいつも難儀しています。海の民も外洋航海か、沿岸航海か、

水軍か潜水漁撈か貿易も兼ねるか。
 

Re: 共通の「道」 余談

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月27日(金)06時28分18秒
返信・引用
  > No.7381[元記事へ]

村崎樹里さんへのお返事です。

> アマ照らす日のカミよ。

少々余談で話題とは全く関係ありませんが、この表記から少々思い出したことがあります。
アマテラスは天照と書きますが、そのアマテラスになったつもりの人物がおりまして
その人物は死後、その地域の一番北に位置する場所の高台にお墓を作りました。
それで「ここは、東国のアマテラスの宮じゃ」といったのですが、ご存知でしょうか?

すいません! 判りますよね。

「東国のアマテラスの宮」

  「アズマ(東)テラス(照らす)の宮」→ 東照宮
 

Re: 共通の「道」

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月27日(金)05時36分17秒
返信・引用
  > No.7375[元記事へ]

闇の日本史@竹内さんへのお返事です。

> > オオツタノハ製貝輪
> > 見ようによっては天下の御旗のご紋章にもさも似たり・・・?
>
> 貝の実物はこんな感じで、目玉焼き風です。

あらら。お日様マークにもさも似たり?
アマ照らす日のカミよ。

あ゛あ゛あ゛
柳田ワールド徘徊中につき鳥懐的な視点が持てん。
もどかしいっちゃ

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

Re: 共通の「道」

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月27日(金)05時32分9秒
返信・引用
  > No.7373[元記事へ]

とみたさんへのお返事です。


> 三重県の伊勢湾海岸の白子は白水郎のことだという説があります。つまり海女さんとか潜水漁撈民の本拠です。正しいでしょうか。隼人は潜水漁撈民という説もあります。
>

憶測の域を出ませんが、
やはり白子は白い砂の海岸ってのが名前の由来として代表的な説だし、
海産物も「その手は桑名の焼きハマグリ」に近く、海女さんの活躍の場は少なそうです。
海女さんは鮑に代表される岩場にひそむ獲物を対象とした漁がほとんどだし。

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

Re: 共通の「道」

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月26日(木)21時08分41秒
返信・引用
  > No.7373[元記事へ]

とみたさんへのお返事です。


> 今年、愛知県平手町、名古屋市の庄内川沿いらしい。ここに日本一古い船形木棺が出ました。
行ったことあります! でもここは都会のど真ん中。
周囲を封鎖されて全く外界から隔離された形で行われております。
やがては病院になるとか。  北区にある朝風呂の行き道にあります。
 

Re: 共通の「道」

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月26日(木)20時05分6秒
返信・引用
  > No.7373[元記事へ]

とみたさんへのお返事です。

> ところでQQ。
>
> 三重県の伊勢湾海岸の白子は白水郎のことだという説があります。つまり海女さんとか潜水漁撈民の本拠です。正しいでしょうか。隼人は潜水漁撈民という説もあります。

知り合いが白子に数名住んでおりました。 神奈備サイトさんではそのような噂話が
聞かれるようですが、一般的には白子にある観音さんから来たという説で通っているよう
ですが、こんなことを書いているサイトも見えます。

 http://baba72885.exblog.jp/m2009-02-01/

『白子・三重県鈴鹿市白子(しろこ)、千葉県白子(しらこ)町は、明るい砂浜海岸に由来する地名で、各地の「白浜」地名とほぼ同じだ。・埼玉県和光市白子は、渡来人に由来する「新羅」が訛ったとされている。』

肯定する材料も否定する材料もありませんが。
 

Re: 宮崎県.本野原遺跡からの合成写真

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月26日(木)20時00分30秒
返信・引用
  > No.7372[元記事へ]

吉祥姫さんへのお返事です。

> 私(吉祥姫)が九州の現場を訪ねた折の際の写真に様々な遺跡の画像を合成したCG写真です。
> 宮崎にこのような高度文明があったのかもしれません。
> ※注意 この写真はあくまでも想像の写真です。
> 背景の山は実際の宮崎県の鰐塚山です

闇の日本史も以前こんな注釈を付けて掲載させていただきました。

仮に本当に祭壇が有るとすれば、どれほどの高さのものであったろうか?
では計算してみよう!
A’
| \      本野原(B)から鰐塚山の山頂から地表面に
|  \     垂直な線を降ろした地点(A)からの距離
|   \    直線A−Bは地図上では約6.5KM、
A=====B  鰐塚山の標高(直線A’−A)は1118mであるから、
  (1.118÷6.500)=tanθ

  θ=tan-1(1.118÷6.500) =9.759度

つまり本野原から鰐塚山の山頂は地上から約10度の位置に見えるということになる。今度は土抗列の全長は40mあるから、

  (X÷40)= tan(10)

   X = 40×tan(10) = 7m
仮に山頂と地上の中間点を目指すのであれば角度4.5度、地面からの高さ3.5mになるのである。
 

Re: 共通の「道」

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月26日(木)19時54分47秒
返信・引用
  > No.7371[元記事へ]

村崎樹里さんへのお返事です。

> 闇の日本史@竹内さんへのお返事です。
>
> > もちいられたオオツタノハ製貝輪の分布を示したものです。 青の領域が生息域
>
> オオツタノハ製貝輪
> 見ようによっては天下の御旗のご紋章にもさも似たり・・・?

貝の実物はこんな感じで、目玉焼き風です。
 

御旗

 投稿者:荒尾和史  投稿日:2009年11月26日(木)15時32分27秒
返信・引用 編集済
  > No.7371[元記事へ]

村崎樹里さんへのお返事です。

> 闇の日本史@竹内さんへのお返事です。
>
> > もちいられたオオツタノハ製貝輪の分布を示したものです。 青の領域が生息域
>
> オオツタノハ製貝輪
> 見ようによっては天下の御旗のご紋章にもさも似たり・・・?

 私の説は

 西木.. 縦書きだと「栗」

 栗の木にナっている票..ではなく 栗..

 収穫して 栗の山

 でも栗の イガ(なにから身を守るために進化したのかな..ハリネズミと同じ趣旨なのだらうか)
 あたりに

http://www.baikodo.com/yakigashi/index.html

 

Re: 共通の「道」

 投稿者:とみた  投稿日:2009年11月26日(木)13時48分59秒
返信・引用
  > No.7370[元記事へ]

闇の日本史@竹内さんへのお返事です。

>近所の東海地区最大の弥生遺跡・朝日遺跡現説で
> もちいられたオオツタノハ製貝輪の分布を示したものです。 青の領域が生息域
>
> 縄文時代における移動経路は日本海側が想定されているようですが、弥生期に
> なると当地を経由して房総、そして縄文期の終着。三内丸山へと通じています

面白い話がゴロゴロ。

沖縄のイモ貝、ゴホウラ貝は貴重で、隼人が運んでらしい。加工されて貴族の装飾品になたのでしょう。
水字貝も巴形銅器として倭国から朝鮮の古代王族の墓に副葬されています。

魔よけの意味や呪具として使われています。

不思議な形の貝を神聖視したのでしょうね。
オオツタノハ貝も、不思議な形です。縄文時代から貴重な貝であったということでしょうね。


弥生時代の朝日遺跡はいつも注目しています。

清洲で竹内さんのところです。一の宮には海の民の尾張族の総本山、真清田神社がありますね。木曽川です。

古代は伊勢湾の入り江が深く内陸の入り込んでいたのでしょう。
一の宮には八王子遺跡があります。

八王子遺跡と朝日遺跡は銅鐸の古い形式のが出ています。

菱環式と外縁鈕式のものです。

朝日遺跡には松菊里遺跡(韓国の西南海岸沿いの稲作遺跡)と同じ竪穴式住居が出ています。

注目は、四国の土佐の田村遺跡です。ここも弥生時代の前期の松菊里竪穴式住居があります。

弥生前期は多分、瀬戸内海を経由せず南九州を経由して朝鮮の文化が伝わったかもしれません。

ところでQQ。

三重県の伊勢湾海岸の白子は白水郎のことだという説があります。つまり海女さんとか潜水漁撈民の本拠です。正しいでしょうか。隼人は潜水漁撈民という説もあります。

蛋民説もあります。これだと水上生活者です。南シナ海にいたのでしょう。

今年、愛知県平手町、名古屋市の庄内川沿いらしい。ここに日本一古い船形木棺が出ました。

紀元前後つまり弥生中期の遺跡です。
 

宮崎県.本野原遺跡からの合成写真

 投稿者:吉祥姫  投稿日:2009年11月26日(木)11時45分4秒
返信・引用 編集済
  私(吉祥姫)が九州の現場を訪ねた折の際の写真に様々な遺跡の画像を合成したCG写真です。
宮崎にこのような高度文明があったのかもしれません。
※注意 この写真はあくまでも想像の写真です。
背景の山は実際の宮崎県の鰐塚山です
 

Re: 共通の「道」

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月26日(木)07時22分28秒
返信・引用
  > No.7370[元記事へ]

闇の日本史@竹内さんへのお返事です。

> もちいられたオオツタノハ製貝輪の分布を示したものです。 青の領域が生息域

オオツタノハ製貝輪
見ようによっては天下の御旗のご紋章にもさも似たり・・・?

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

共通の「道」

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月26日(木)06時43分38秒
返信・引用 編集済
  nickさんと、とみたさんと、私の地区を共通で結んでいる共通の「道」が
存在していたようですね。 近所の東海地区最大の弥生遺跡・朝日遺跡現説で
もちいられたオオツタノハ製貝輪の分布を示したものです。 青の領域が生息域

縄文時代における移動経路は日本海側が想定されているようですが、弥生期に
なると当地を経由して房総、そして縄文期の終着。三内丸山へと通じています
 

南九州

 投稿者:とみた  投稿日:2009年11月25日(水)19時10分4秒
返信・引用
  鹿児島県・トマチン遺跡 3重構造の石棺墓を確認
縄文時代から弥生時代の石棺墓が複数見つかっている
伊仙町佐弁のトマチン遺跡で、2重構造とみられていた石棺墓が
上中下段の3重構造であることが確認された。
2004年度から調査している鹿児島大学埋蔵文化財調査室の
新里貴之助教(37)が7日発表した。
3重構造の石棺墓はサンゴ石灰岩を平積みした珍しい構造で、
縦2メートル、横0.5メートル。
昨年まで実施した上段の調査では
新潟県糸魚川産のヒスイ玉やゴホウラ貝輪、3体の人骨が出土。
中段には女性の人骨1体と貝小玉などのほか、
別の頭骨があったことから3重構造が指摘されていた。
 4日まで実施する今回の第5次調査では下段を発掘。
人骨1体とオオベッコウガサガイ10枚が出土。
あらためて3重構造が確認された。
新里助教は「墓の上に墓を作る方法が珍しい。
全国的にも類例はみられない」という。
 

南九州

 投稿者:とみた  投稿日:2009年11月25日(水)19時02分46秒
返信・引用
  nickさん
南九州も考古学的な光が射してきたようです。

下の記事を見つけました。すでにご存知だと思いますが。

鹿児島・下鶴遺跡 県内最古、国内最南端の青銅製銅戈出土
鹿児島県立埋蔵文化財センターは19日、伊佐市大口下殿の下鶴遺跡から
県内最古の青銅器「銅戈(どうか)」の一部が見つかったと発表した。
弥生時代中期前半(2200年前)で墓の副葬品とみられる。

同センターによると出土したのは遺跡北部で30基が確認された土坑の一つ。
出土品は長さ8センチ、幅3.3センチ、厚さ0.6センチで
長さ20センチ前後の本体の先端部分とみられる。
別の土坑から見つかった入来式土器や青銅器に詳しい
九州大学総合研究博物館の岩永省三教授の見立てにより、遺物の時代を判断した。

銅戈は武器形青銅器の一種で柄の先に取り付け、相手を引っかけて倒す。
県内で同青銅器が発見されたのは志布志市有明町野井倉の
銅矛(どうほこ)=弥生時代後期=に続き2例目。
銅戈は九州北部での出土が多いが、これまで熊本県山鹿市が南限で、
今回の発見により、当時に九州中北部と当地の往来があったことがうかがえる
 

Re: 機種依存文字

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月25日(水)18時22分43秒
返信・引用
  > No.7364[元記事へ]

吉祥姫さんへのお返事です。

> 管理人さんも気をつけられているようです。
> 面白いことにWindowsの機種依存文字をメールで使うとこうなるんですよ。
> 面白いでしょ。

ほんまですねぇ! 始めてみました。
こうなっちゃうんですかぁ。 やっぱ気をつけないといけませんね。
 

Re: 縄文は男優勢 弥生は女優勢 説

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月25日(水)18時21分26秒
返信・引用
  > No.7363[元記事へ]

荒尾和史さんへのお返事です。

>  「スサノオ」女という説は ありましたっけ?
そういうお話は全く知りません。 もしそうなら八重垣神社は存在しないことに?
 

Re: 秦氏 卜部

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月25日(水)18時18分4秒
返信・引用
  > No.7362[元記事へ]

nickさんへのお返事です。

> この説法で行くと、
> 「仲間割れの抗争」ですか。
> いずれにせよ、宇佐八幡は先ず
> 大隅に降臨したとあるのは興味深い。

なるほど! 海からきましたかぁ。 なるほど!
非常に面白いですねぇ。 この情報インプットしておきます。
 

機種依存文字

 投稿者:吉祥姫  投稿日:2009年11月25日(水)13時25分36秒
返信・引用
  管理人さんも気をつけられているようです。
面白いことにWindowsの機種依存文字をメールで使うとこうなるんですよ。
面白いでしょ。
 

縄文は男優勢 弥生は女優勢 説

 投稿者:荒尾和史  投稿日:2009年11月25日(水)13時12分36秒
返信・引用
   タイトルは 「だんゆうぜい」と「じょゆうぜい」ではありません。(かしこ

 月読の性別? という話題でしょうか

 「スサノオ」女という説は ありましたっけ?
 

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