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Re: 秦氏 卜部

 投稿者:nick  投稿日:2009年11月25日(水)07時19分43秒
返信・引用 編集済
  > No.7355[元記事へ]

闇の日本史@竹内さんへのお返事です。

> とみたさんへのお返事です。
>
> > ところで、名古屋市の千種は播磨の千種と同様、鉄と関係がありますか
> 結構地元のことは良く知らないもので、この件わかりません。
>
> 鉄もそうなのですが、もうひとつ九州南部で忘れてはいけないものが。
>
>  「銅」です!
>

おはようございます。

このところ祭の連荘で、数日留守にしたら
「隼人」で盛り上がってますね。

以前、トミタさんにご教示頂いて
「貝の道」の遺跡を当地の上野原縄文埋蔵文化財センターへ
日参し、各地の報告集を精査する毎日でしたが
一昨年から唯一の足であった、国分駅からのバスが廃止になって
そのお勉強も頓挫したままです。

鹿児島神宮の伝承として

☆八幡愚童訓☆

「継体天皇の御世、
中国の陳大王の娘
大比留女(おおひるめ)が
七歳にして
朝日を受けて懐妊し、
生まれた子と共に
空船(うつろふね)
に乗せられて流され、
大隅八幡崎に着いた。

生子は
ここで正八幡となって
隼人を討ち、
生母は筑前香椎(かしい)
に飛んで
聖母(しょうも)大菩薩
となった」

=====================

この説法で行くと、
「仲間割れの抗争」ですか。
いずれにせよ、宇佐八幡は先ず
大隅に降臨したとあるのは興味深い。

大比留女(おおひるめ)を「日の神」として
アマテラスオオミ神に転化させているようですが。。

また、銅に関しては
韓国宇豆峯神社の鎮座する上流付近で産出しています。
この神社は、これらの集荷・積み出し港であったかも
しれません。

明治以前の鉱山関連は、
同じく、鹿児島神宮のページに掲載していますが、
金、銀、銅、錫 等が、近くの「牛根」と云う
地区から産出しています。

横川には世界一の金山が今も。。



☆湯之尾神舞(ゆのお かんめ)
当地では、神楽を「神舞」と呼びます。

http://hayato.com/jisya/hachiman.html

 

Re: 秦氏 卜部

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月25日(水)06時28分1秒
返信・引用
  > No.7353[元記事へ]

とみたさんへのお返事です。

> 中臣氏は元来、鹿卜でしょう。

鹿の角をつけた杖を持って漂泊する民がおったそうな。

鳥羽の信仰の起源(セーマンドーマンの起源)を辿ってただいま柳田ワールドを散策中。


山神さま、シャグジンさまの信仰から山系の宗教者の影響ばかりイメージしていたが
みんな山伝いに来たとは限らないかも

まだまだ柳田ワールドの散策はつづく

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

初めて知ったこと

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月25日(水)06時00分41秒
返信・引用
  こんなに長いこと調べていたのに先日のnickさんの書き込みで少々調べてみると
月読さんは殆どの地区では「男の神」だとしているんですね。
てっきり女性の神だと思い込んでおりました。 そういう意味でもnickさんの
写真は女性の面をつけてましたね。 実物を観にいってみたいものです。
 

鬼監督 木村大作先生

 投稿者:荒尾和史  投稿日:2009年11月24日(火)21時19分3秒
返信・引用 編集済
   ムービー作りの鬼 「剣岳点の記」を撮影された 木村先生 を 横目に 鬼をモチーフにした祭りの映像をもとに ムービー作りを試みる人。

 日本の伝統芸能が 未開の民族と同一視されないように、外界との接触が薄い地域で800年続く 祭り(これでもかなり簡略化された)をライブ感覚で撮る。

 海外の一部では、「日本のアイデンティティーを 野蛮と思わせたい?」という思惑もあるのかもしれませんが(おい
 そんな思惑には のらないんだぞぉ という意味での 鬼の念力が フンガー 中 ではあります(。。

http://j-net21.smrj.go.jp/watch/sanpo/entry/20080901.html

 

Re: ムービー化計画

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月24日(火)20時55分59秒
返信・引用 編集済
  > No.7357[元記事へ]

荒尾和史さんへのお返事です。

>  なんて ことはさておいて ムービー作りしないといけません 吉祥姫さんの音楽も とりいれて
>  こん週末ぐらいから すすめてみます。(でも、包丁のさばきも 怪しそうな<自分の手を切るんではないかと?>

どんなんが出来るか楽しみにしております。
YouTubeにでればいろいろな方がみえるようになりますよね。


この分だと何もご返答が無いので宮毘羅さんのお墓参り計画は駄目そうですねぇ。
 

ムービー化計画

 投稿者:荒尾和史  投稿日:2009年11月24日(火)20時42分41秒
返信・引用
   SCEJは コンピュータ [PS3]
 SPEJは ピクチャー 「THIS IS IT」
 SMEJは ミュージック 「ウォークマン」
 2文字目を縦黄泉すると
 CPM..86

 なんて ことはさておいて ムービー作りしないといけません 吉祥姫さんの音楽も とりいれて
 こん週末ぐらいから すすめてみます。(でも、包丁のさばきも 怪しそうな<自分の手を切るんではないかと?>
 人が 魚をさばくのとにたような状況ですので ご注意)

http://j-net21.smrj.go.jp/watch/sanpo/entry/20080901.html

 

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月24日(火)19時22分55秒
返信・引用
  今俄かに広まっている噂話が凄いです。

『米国家安全保障局 (NSA) の情報保証局 (IAD) ディレクタ、Richard Schaeffer 氏がこの日、米上院の小委員会の公聴会において、NSA は同社と「長年にわたる関係」を築き、政府のコンピュータに搭載されている OS およびソフトウェアを強化する上で協力しあっていると証言し、さらに、先日リリースなった Windows7のセキュリティ機能を賞賛したことが発端となった。』(yahoo News)

によって何が噂されたかというと、Windows7にバックドアがあるのではないかということです。「バックドア」は「勝手口」のことですが、コンピュータ用語で、「正規の手段ではなく自由に進入することが出来る入り口」のことであります。勿論マイクロソフト社は否定しておりますが、真偽の程はどうなんでしょう
 

Re: 秦氏 卜部

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月24日(火)05時42分0秒
返信・引用 編集済
  > No.7353[元記事へ]

とみたさんへのお返事です。

> ところで、名古屋市の千種は播磨の千種と同様、鉄と関係がありますか
結構地元のことは良く知らないもので、この件わかりません。

鉄もそうなのですが、もうひとつ九州南部で忘れてはいけないものが。

 「銅」です!

日本でも弥生期には「銅鐸」など光物が作られましたが、突如歴史から姿を消します。
どうやらその理由は「戦争」にあったようです。 興味が光物の「銅」から戦争の道具
となる「鉄」へと変化。

南九州といえば、やはり「銅」じゃないですか。


さて月読さんは「月を読む」すまり「陰暦を操る神」という考えが主流のようです。
「暦」の上も「1月」のように、ちゃんと「月」が残っております。
 

Re: 三河あなどれん!

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月23日(月)22時53分52秒
返信・引用
  > No.7343[元記事へ]

村崎樹里さんへのお返事です。

> 和歌山県に「野村万之丞」が居たことともなんとなく繋がっていく。。。

柳田國男『遠野物語』に出てくるのも「万之丞」なのね・・・
やっぱ祭祀(舞)系なのか・・・?

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

秦氏 卜部

 投稿者:とみた  投稿日:2009年11月23日(月)21時15分56秒
返信・引用
  竹内さん、お母様が池田の病院へ入院されたとのこと。ご心配ですね。
池田山は、大垣から新幹線でよく見えますね。名古屋も大分変わりましたでしょう。岐阜などは柳瀬など昔の面影もなく錆びれていますよ。

壱岐の卜骨は大分調べておりますが、あれは亀卜ですね。

中臣氏は元来、鹿卜でしょう。神祇官として伸してくるために、亀卜の卜部も取り込みました。6世紀以降、宮廷卜部は天神寿詞で主導権を持ったようです。

卜部の分布は海に臨んでいます。

中国の海亀を用いる卜が、伝わったのでしょう。中国の亀卜は華北の古高文化が源流とされています。

雪連宅満という遣新羅使の随員で持衰とは納得ですね。船が安全航海できないと殺されますね。

兵庫の宍粟郡千種に天児屋鉄山があるのですか。これは知りませんでした。

宍粟郡は伊和神社があるところ、天日矛が伊和大神と戦ったところ。秦氏が絡んでいそうですね。平野邦雄さんは秦氏の研究で、播磨の西部は秦氏の倭鉄、播磨の東部は漢氏の韓鉄と分かれるとされています。

因みに、加古川の上流は三木市ですが、481年に縮見の屯倉が造られました。

鉄の屯倉です。この辺りは百済の聖明王が新羅に敗れて恵王が554年に鉄人も率いれてやってきます。

忍海部細見が多分、工人の親分でしょう。忍海は葛城山東麓に鉄工人として入植しています。

秦氏はいろいろな部民の総合でしょうが、松尾神社に縁があり松室が本名とは知りませんでした。

壱岐原の辻の建物も興味がありますね。ホゾ穴ですか。棟持柱があったようですが、この柱は何処が発端でしょうか?

阿閉氏は阿部の一族ですね。これも面白いと思っています。私は伊賀に関係があると読んでいるのですが。

下野も薬師寺があって謎ですね。上毛野は車持で鎌足や不比等と関係がありそうです。中河内や山科にいる百済渡来民の田辺氏が絡んでいそうです。

ところで、名古屋市の千種は播磨の千種と同様、鉄と関係がありますか
 

Re: ご無沙汰です。

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月23日(月)19時08分54秒
返信・引用 編集済
  > No.7351[元記事へ]

かまどさんへのお返事です。

> 竹内様
>
> お伊勢さんの宇治橋渡り初めの写真、いいポジションで撮れてますね。だいぶ早く行かれました?
ご無沙汰です! かまどさん!
現着6:45。 定位置到着7:30。 もう足が棒のようでした。
しかもばあさん・爺さん集団が三脚を蹴るわ、脚にしがみつくわで大変。
その後は雪崩のように押し寄せて、幸い背後を木で固めていたためポジションは維持した
ままで撮影できました。 伊勢神宮の撮影合戦はかなり根性とずうずうしさがないと
無理かも。

名古屋方面からだと交通規制がかかって、早く行かないと封鎖されてしまいますので
物理的にも無理。 ちなみに16:40より初渡り記念お守りがもらえましたが、
そこまで待つ体力は残っておりませんでした。
 

ご無沙汰です。

 投稿者:かまど  投稿日:2009年11月23日(月)18時48分34秒
返信・引用
  竹内様

お伊勢さんの宇治橋渡り初めの写真、いいポジションで撮れてますね。だいぶ早く行かれました?
 

Beat it!

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月23日(月)16時43分30秒
返信・引用
  突然のBeat it!
名古屋で昨日行われました、 こういうイベントどんどん期待します。

 

Re: 月読社

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月23日(月)14時44分17秒
返信・引用 編集済
  > No.7348[元記事へ]

とみたさんへのお返事です。

ご無沙汰で御座います。母親が池田町に入院しましたので見舞いも兼ねて横蔵寺に行ってきたところで御座いました。お変わり御座いませんか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E8%94%B5%E5%AF%BA_%28%E6%8F%96%E6%96%90%E5%B7%9D%E7%94%BA%29

さて! 闇の日本史も壱岐に行きました記事を闇の日本史「数と形」壱岐編にこんなことかいております。

もうひとつ忘れてはならないキーワードは「八幡」でしょうか。

『<壱岐巡り>さんが詳しく紹介するのは、以前闇の日本史でご紹介した<雪連宅満の墓>(石田町)。その内容は魏志倭人伝に登場した不毛の地から同じ弥生期に目覚ましい発展を遂げ、大和朝廷と密接な関係が出来た本当の訳が解き明かされる事になる。
話しは4世紀に遡る、芦辺町・<月読神社>は484年天月神社を壱岐の県主・忍見宿禰(おしみのすくね)が壱岐から京都に分霊された事が始りとされる。
その前に少々場所を場所を移そう!
ここは兵庫県宍粟郡千種町天児屋・天児屋鉄山西山遺跡
「土地の人はいう自分等は「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」の末裔であると。天児屋根命の末裔はここに製鉄所を造り営んだ。」(鳥羽弘毅著「たたらと村」参照)
実は雪連宅満の遠祖はここに出て来る「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」であり、県主・忍見宿禰(おしみのすくね)も「天児屋根命」の末裔を名乗っている。以前紹介した福岡・春日の名前の由来も、
「天智天皇が皇子として長津宮(福岡)にいるとき、この地に天児屋根命の神籬(ひもろぎ)(神籬(ひもろぎ):神が降臨する樹木の事)があり、768年藤原田麻呂が創建した「春日神社」があったから」といわれるが、なぜ藤原と天児屋根命が関係しているかが興味深い。アマテラスが天岩屋に籠り天空が闇の包まれた時、八百万の神々が占いをさせ、祝詞を奏上したのが天児屋根命である。そして天児屋根命は「中臣連等之祖(なかとみのむらじらのそ)」とされ、中臣氏の始祖である。天児屋根命は「解除(はらえ)の太諄辞(ふとのりと)を掌(つかさど)り宣(の)らしめた」がみうけられスサノオとも関係があった。(学研「日本の神々の事典」参照)
前述兵庫県宍粟郡千種町天児屋地方との関係はスサノオ絡みであろうが、天児屋根命と鉄との接点は見つけだす事は出来なかった。福岡・春日は文字通り藤原の関係からで、天児屋根命は天津神神籬(ひもろぎ)奉斎という祭祀を司る神でった。中臣鎌足にみる中臣一族はもともと宮廷祭祀に関る一族で、天津神と皇族の中を取り持つ「仲執(なかと)り持(も)ち」が名前の由来である。当然ながら天児屋根命は占いや祝詞を奏上した神であるから、それを最初に行った人物という事になる。

天児屋根命のもう一つの末裔 壱岐の県主・忍見宿禰(おしみのすくね)も、興味深い経緯で京都に昇る。月読神社が「壱岐から京都に分霊された」理由が面白い。
紀元4世紀末、阿閇朝臣事代が任那へ向かう折り立ち寄った壱岐で月読神社の祭神・月神が、神かかって「この地に奉れ」といったことを事代が天皇に奏上。現在の京都洛西松尾を奉献し、松尾という一族が忍見宿禰(おしみのすくね)を壱岐から招き入れ祖とし、その末裔が現在も月読宮の宮司を勤めているという。(ちなみに新羅が任那を滅ぼしたのは562年、聖徳太子が摂政になったのは562年である)

忍見宿禰が京都へ招かれた事によって特殊技能を見に付けたという。それは<卜占>であったとHP「壱岐巡り」さんは書いているのだが、実は反対ではないかと筆者は考えている。忍見宿禰の祖・天児屋根命は元々<卜占>を得意としており、末裔である忍見宿禰は当然以前より<卜占>ができたはず。このため大和朝廷と関係があった阿閇氏に京都に呼ばれたのではないかと想像する。天児屋根命がなぜ以前から<卜占>を得意としていたかは、航路の拠点であった壱岐という土地柄が影響して前回ご紹介した<持衰>を職とした一族であったからではないかとと想像する。このため雪連宅満も<卜占>を扱う事が出来たと考えられ、彼が遣新羅使に任命されたのは<持衰>のような役割を持っていたからであるとされる。雪連宅満の父の名を「伊伎連古麿」といい、「伊伎」は「伊岐」「壱岐」であり、後の壱岐氏に繋がり<卜占>を専門に扱う一族となっていく。そして壱岐氏は卜占官となり卜部となっていった。


少々話しは変る。これは京都・木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)通称「木島神社」の<3柱の鳥居>である。京都・嵐山線「蚕の宮」駅といえば通りが良い(地図には「蚕の社」と書かれている場合もある)。天之御中主神外四柱を奉る神社で創建不詳であるが、「続日本書記」大宝元年(701)四月三日の条にみられるという神社であるという(神社縁起参照)


この神社変った神紋で<蓮>を用いている(注:文中改訂版「秦氏関係神社の紋」)。この珍しい家紋を用いているのは松尾氏と伊岐氏である。そう! 雪連宅満の家系・伊岐氏と同じ名前である。
同HP記載内容によると、戦前<雪連宅満の墓>に盆の十六日に参拝に訪れた一行があり、彼らの姓は<松室><伊岐>だったという。<松室>とは後の松尾であり、京都・月読神社の宮司だからと思いがちなのだが。


実は雪連宅満の母親は下野守秦大魚の娘だというのだ。

この複雑なパズル、そろそろ解けた方もいることだろう!
京都洛西月読神社は、実は松尾大社の末社なのであり、<蓮>を家紋にもつ<松室><伊岐>一族は<秦一族>(多くの新羅系技師を傘下においていた一族)なのである。
秦一族は秦の始皇帝を遠祖とし応神天皇期の3世紀には日本に帰化したといわれている。その際応神天皇は九州・筑紫から大和ヘはいったとされ、神武東征に類似する点が多くあり、応神天皇を祭るは大分・宇佐八幡。
同HPでは壱岐・月読神社延長5年、延喜式では芦辺町箱崎の八幡神社。774年壱岐卜部道作が卜占の任を果したのは宇佐八幡と八幡には縁がある。八幡はヤハタであって、やはり秦氏との繋がりが深い。

秦氏の信仰していた祭神として有名なのが<伊奈利神(いなり)>現在の稲荷で<稲成り>とも解釈され、日本の稲作技術と共に日本中に行き渡ったが、そのためかどうかは定かではないが秦氏の家紋は<稲穂>である。<稲穂>で連想させるのは暦=農耕暦=陰暦であり「月を読む」=「月読」
 日本書記では「月読尊はアオウナハラの潮の八百重(ヤオエ)を治すべし」「月夜見尊は日に配べて天の事を知らすべし」がみうけられ、(八百重とは<非常に隔たっている>(広辞苑)事を意味する)。アマテラスの命で保食神(うけもちのかみ)のもとに降りて行くが、保食神が山海の珍味を口から出すと「汚らわしい」と激怒して殺してしまう。それをアマテラスに報告すると「お前の顔など見たくない」と叱咤され、お互い顔をあわさなくなった(月と日は一緒に出ないの比喩?)。その殺された保食神の体から出たものは、<牛馬><蚕><稲>なのである(学研「日本の神々の事典一部参照)。
後、秦一族は朝廷の金庫番となり京都・太秦に集結する。太秦は「絹織物をうず高く積んだ」ことに由来し養蚕、機織りも得意としていた一族であった。

さてこれは原ノ辻遺跡から出土した「床大引材」と復元図である。高床建物の床を支えるための物であるが、「ホゾ」と「込栓(コミセン)」の穴が有りており建築に関しても高度な技術を持っていたとされる。少々強引なコジツケであるが「天児屋根命」の名前の由来は「小さな屋根の建物」で建築物とも関係が深い。勿論一般的に歴史で習う<表の秦氏>は聖徳太子の時代に数々の建築物を建てたので有名である。偶然か?

5世紀、秦大津父は巨万の富を有していたと言われている。それは丁度、継体天皇期と重なる。継体天皇の出自と死は謎とされる。その頃、九州全土いや全国を震撼させる<乱>が勃発する。後の九州ツアーで見たもの、<乱>をおこなった人物の文化は、新羅と密接な関係をもっていた。そして中国の文献「隋書」のなかで次のような記述が見受けられる。

「文林郎裴清世(ぶんりんろうはいせいせい)は百済、竹島を経て南に耽羅(たんら=済州島)を望み、都斯麻(つしま=対馬)を経て一支(いき=壱岐)、継いで竹斯(ちくし=筑紫)国に至る。そして叉東して秦国に至る」(学研「聖徳太子の本」参照)

学者は大和辺りを模作するが、「隋書」には次の様にも記述されている。
「阿蘇山有り」!』
 

月読社

 投稿者:とみた  投稿日:2009年11月23日(月)13時34分4秒
返信・引用
  > No.7345[元記事へ]

お久しぶりです。今日は暖かでシニアにはありがたいです。


nickさんと闇の日本史@竹内さんへの話に割り込ませていただきます。

> さて! 「隼人の神は古来、月と日」といわれているのですか。
> 非常に興味深いですねぇ。 八幡社は全国に沢山あるので共通点を見出すのは甚だ困難な
>それが月読社とくっつくと全国的に見ても少ないのではないでしょうか。
> なぜ「隼人の神は古来、月と日」というのか、非常に興味があります。

私も大いに気になります。

記憶から書きますので、調べていませんが。

月読神社は、確か 木津川の畔、京田辺の大住にありましたでしょう。あそこは隼人舞をしますね。大隈隼人が居ついたところかと。

月読神社は、壱岐の月読み神社が本山。これを京都の山代葛野の秦氏の領地に祭らせますね。壱岐の県主の先祖が仕えた。

雄略の後の、顕宗3年(487年)です。

月読も秦氏が絡んでいる。

宇佐八幡は秦氏ですね。あの辺りは秦氏がたくさん住んでいた。

8世紀初めの隼人の乱には、宇佐から豊前や豊後の郡司クラスが押しかけて鎮圧している。

秦氏の後裔だと考えますが如何でしょうか。

秦氏は、西域の北方の民か、匈奴やトルコ系の王は、天神、地神より生まれ、日神と月神を拝む。月の満ち欠けで軍の進退を判断します。

日月は楽器の琵琶にも彫りこまれます。

はたして、隼人の日と月は何を意味するのでしょう。
 

ハヤブサの人

 投稿者:荒尾和史  投稿日:2009年11月23日(月)10時12分11秒
返信・引用 編集済
   ラーの神
 http://ja.wikipedia.org/wiki/ラー
 日の出はケプリ 昼はハヤブサ 夜は 雄羊

 他の携帯はそうでもなくなったのですが(昔はそうだった)
 iPhoneは  今も 頭の中が煮えたぎるようになるので 携帯電話としては使ってません。

 なお、私自身は「彼氏彼女」という 表現を使う人は 苦手です。でも「ダーリン」「サマンサ」は問題なしです。
 あれ?

 リンク先は このほど 東大を旗ふりにして学会的討論をはじめたといわれる 新技術 WIKI です

http://ja.wikipedia.org/wiki/ラー

 

Re: 勝者の作る歴史

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月22日(日)23時19分31秒
返信・引用
  > No.7337[元記事へ]

荒尾和史さんへのお返事です。

>  明治の頃 海底ケーブルのおかげで ニューヨークから長崎への伝達は
>  数時間 なのに 長崎から東京まで 3日間かかるという 状況も
>  生まれていたとか 書かれてましたが 本当なのかな。

ちょい亀レスですが
鳥羽で通信技術の研究開発をやっていた、というのは
無線通信です。
今の携帯電話通信の基礎はここで生まれたとかいう噂もあります。
明治初頭のお話。

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

Re: 写真館

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月22日(日)20時18分47秒
返信・引用
  > No.7344[元記事へ]

nickさんへのお返事です。

> その鹿児島神宮で、最も賑やかな祭りと云えば
> 春を呼ぶ「鈴懸け馬踊り」の初午祭りです。
これ(下の写真)で御座いますよね。

> こんな所にも皆さんが「隼人の神は古来、月と日」
> と云われる所以があるのでしょうか。
> ☆帖佐八幡神社の浜下り
> 鳥居の向こうは桜島です。
> 由来は、寺社探訪の「帖佐八幡神社」に

さて! 「隼人の神は古来、月と日」といわれているのですか。
非常に興味深いですねぇ。 八幡社は全国に沢山あるので共通点を見出すのは甚だ困難な
事でありますが、それが月読社とくっつくと全国的に見ても少ないのではないでしょうか。
なぜ「隼人の神は古来、月と日」というのか、非常に興味があります。
 

Re: 写真館

 投稿者:nick  投稿日:2009年11月22日(日)18時24分21秒
返信・引用
  > No.7340[元記事へ]

闇の日本史@竹内さんへのお返事です。

> nickさんへのお返事です。
>
> この月読さんが着ている衣装と文様も注目したいですね。
> 名古屋で言えばまるで蒔能に出てきそうな豪華絢爛。
>
> さて! 月読さんは伊勢では「げつぞくさん」っていうらしいです。というのも
> 月読さんは「月讀」と書くからとか。 ちなみに今住んでいるところから数件先が
> 月読神社ですが東海では余り見ないようです。

当地の鹿児島神宮の写真をアップする
つもりがポストを押してしまいました。

その鹿児島神宮で、最も賑やかな祭りと云えば
春を呼ぶ「鈴懸け馬踊り」の初午祭りです。
長いことこれが例祭かと思っていましたが
そうでは無かった。
何と秋の「十五夜祭」なんですね。
こんな所にも皆さんが「隼人の神は古来、月と日」
と云われる所以があるのでしょうか。

現在、神宮のご神木は「豊玉彦命」を祭祀する社殿の
上部に位置します。
ここで神事を行い、社殿では「隼人舞」を奉納します。
この「豊玉彦命」の社殿には明治以前は「猿田彦」を祭祀しています。

寺社探訪の鹿児島神宮をご参照下さい。

今日は、帖佐八幡神社の浜下りでした。
帰途雨にやられましたが、祭りは小雨程度で、、いい祭りでした。
行列の武具は川内の戦国村からのレンタル衣装でした。
雨には弱いですから、、祭りも大変です。

☆帖佐八幡神社の浜下り
鳥居の向こうは桜島です。
由来は、寺社探訪の「帖佐八幡神社」に

http://hayato.com/jisya/kagoshima.html

 

三河あなどれん!

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月22日(日)16時54分13秒
返信・引用
  漂泊民のお勉強に着手いたしました。

宗教者にとって三河は結構重要なポイントだったんですね。
『舞』のキーワードともリンクします。
和歌山県に「野村万之丞」が居たことともなんとなく繋がっていく。。。

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

Re: またまた写真

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月22日(日)16時49分6秒
返信・引用
  > No.7338[元記事へ]

闇の日本史@竹内さんへのお返事です。

>  「緑・黄色・赤・白・青」
>
> 黄色は特別な名前が付いていて「百綱(神道という箇所もあります)」といって、神様がこれを伝って湯に入ります。

鬼門(かみど)っすか。
しかしなんで緑が先で、黄色が真ん中でもなくって、なんだろう。。
荒尾さんの五色不動尊巡りの記事読み返した方がよいのか??

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

帝都物語

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月22日(日)16時09分14秒
返信・引用 編集済
  参加者の方々にはお話いたしましたが、闇の日本史発足の発端は荒俣宏氏の
「帝都物語にであったから」でありますが、その主人公とも言うべき帝都
転覆企む軍人@加藤保憲の出身地は、ちなみに紀州のこんな場所。

これに関して、斎藤先生も文章を寄せていらっしゃった記憶があります。

この地を私がなぜ知って二度行ったことがあるかというと晴明史跡が
結構あるからです。  村崎さんも関係が深かったりして!

なにやら呼び寄せられているような??

 

Re: 写真館

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月22日(日)15時59分56秒
返信・引用 編集済
  > No.7334[元記事へ]

nickさんへのお返事です。

この月読さんが着ている衣装と文様も注目したいですね。
名古屋で言えばまるで蒔能に出てきそうな豪華絢爛。

さて! 月読さんは伊勢では「げつぞくさん」っていうらしいです。というのも
月読さんは「月讀」と書くからとか。 ちなみに今住んでいるところから数件先が
月読神社ですが東海では余り見ないようです。

私見ですが、村崎さんのダーリンさんが調べていることと鹿児島に月読さんが多いことは
関係があるのではないかとふんでおります。ちなみに月読さんは長崎県の壱岐島が本拠地であります。 実際は大層な神社があるわけではなく、こんなところです。
 

闇の世界は現場主義 (数編)

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月22日(日)11時35分56秒
返信・引用 編集済
  さて先週花祭り参加者の方や神社近くにお住まいの方は、お気づきと思いますが
大変な混雑だったと思います。 11月15日は「七五三」ですよねぇ。
最近では旧暦11月15日に近い土日ならいいじゃん! という声もちらほら。
ところが、ホントはそうはいかない!?

それはなぜ旧暦11月15日かというと、旧暦のこの日はは「二十八宿の鬼宿」
「鬼宿」とは「鬼が出歩かない日のこと」を意味し、そういうことを知った上で
最初の「花」へ出向くのもなかなか趣があろう事かと思います。

さて! 算数的には「3・5・7」は奇数にして素数(割り切れない数)であります。9を入れないのは素数ではないからかもしれません。道教では1桁の奇数を重んじる傾向にあり、その中でも素数は奇数偶数なく好まれるようです。

今度は闇の日本史の花祭り編でやはたのおろちさんが以前書かれた「舞の種類に関する一考察」の中からの抜粋です。

地固めの四季は

 1:四方立て
 2:おしめぐち
 3:へぼみ→輪×3
 4:おしめぐち
 5:あわせ×3
 6:おしめぐち
 7:相手舞
  (1〜7は「えんよう(3拍子)」と2拍子で都合2セット行う)
 8:反閇
 9:四とこ反閇
 10:あくま
 11:相手舞(5方)

ばちの舞
1:四方立て
 2:おしめぐち
 3:へぼみ→輪×3
 4:おしめぐち
 5:あわせ×3
 6:おしめぐち
 (1〜6は「えんよう(3拍子)」と2拍子で都合2回行う)
 7:てほへ舞

花の舞の四季は
 1:四方立て
 2:おしめぐち
 3:へぼみ(すくみ)→輪×3
 4:おしめぐち
 5:あわせ×3
 6:おしめぐち
 7:総入り

そして古戸において私が観察してメモしたところによると、
『1つのフォーメーションの同じ位置で右回転、左回転を交互に繰り返すのだが、始めの1回目は7回(7)後の2回は9回(9)回転する。つまり同じ位置で3回、回転することになる。』

ここに出てくる数字のみをピックアップすると「3・5・7・9」。
つまり「1桁の奇数」ですよね。

 

Re: またまた写真

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月22日(日)11時06分1秒
返信・引用 編集済
  > No.7336[元記事へ]

村崎樹里さんへのお返事です。

> やっぱ意味ある順番なんですね。
> 何宗なんだか何教なんだか何道なんだか、てのはありますが、思想の原点になにかあるんですね。。。

そうなんですよね。
現地で天井につけられた紙リボンの事をお話したと思いますが、慎重に細かく見ていると
判るのですが、実は同じ順番なのです。この地区にはないですが、例えば古戸ですと
名前はうろ覚えなのですが確か「ざんざ」という天蓋(他の地方ではこういいます)に
同じように紙リボンがつけられているのですが、その全体が下記の写真です。
右が太鼓叩いている箇所で右奥から時計回りに

 「緑・黄色・赤・白・青」

黄色は特別な名前が付いていて「百綱(神道という箇所もあります)」といって、神様がこれを伝って湯に入ります。
 

勝者の作る歴史

 投稿者:荒尾和史  投稿日:2009年11月21日(土)22時50分32秒
返信・引用 編集済
   ワーテルローの戦いで負けた ナポレオン
 情報網により素早くその情報を手にした あるグループが
 その後の歴史を方向づけたのではの研究が 一部の向きで されているようですが..

 と..さてこのはなし
 最近 30分 フライング した !? で色めきだった という報道もありましたが
 裏には おそらく そんな関係の話があったのではないかと..

 素早い情報網の技術は 日本では戦国時代は 忍術 が担当?という話になりますが
 さしずめ 現代なら チャンネルをひねれば観れる ライブ形式が.. とってかわってる?
 のかもしれませんね。

 明治の頃 海底ケーブルのおかげで ニューヨークから長崎への伝達は
 数時間 なのに 長崎から東京まで 3日間かかるという 状況も
 生まれていたとか 書かれてましたが 本当なのかな。

 そういえば 神戸の震災の国の中枢への 報告が 遅れた話を..思い出した

http://j-net21.smrj.go.jp/watch/sanpo/entry/20080901.html

 

Re: またまた写真

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月21日(土)21時15分16秒
返信・引用
  > No.7332[元記事へ]

闇の日本史@竹内さんへのお返事です。

> 少々前に荒尾さんが回られた東京の五色不動の配置と同じ衛星写真で見てください。
> 南西の隅から反時計回りに追っていくと
>
>  「目黒・目黄・目赤・目白・目青
>
> 同じでしょ!

Σ( ̄□ ̄)そういう繋がり!?

やっぱ意味ある順番なんですね。
何宗なんだか何教なんだか何道なんだか、てのはありますが、思想の原点になにかあるんですね。。。

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

Re: コダマ 信仰

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月21日(土)21時12分37秒
返信・引用
  > No.7333[元記事へ]

荒尾和史さんへのお返事です。

>  リンク先は 「海底に眠る秘密の..」お話

石垣島の電信屋、行ったことあります。
写真があるけど、win側から移行してないのでうpがめんどくせー(ほぅらこの先送り姿勢が私さそうさそうやって間延びした人生送っているのさああそうさ)

明治の時代、鳥羽佐田浜(日和山)と菅島で通信の開発研究をしていたらしい、というお話もあります。
恐らく軍事開発だったのであまり表だった記録がないと思われる。
ウチの親戚が関わっていた(知らずに宿貸したとかだけど)形跡があります。。。

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

Re: 写真館

 投稿者:nick  投稿日:2009年11月21日(土)12時29分16秒
返信・引用
  > No.7321[元記事へ]

闇の日本史@竹内さんへのお返事です。

> nickさんへのお返事です。
>
> この月読みさん素晴らしい!

どうもありがとうございます。
数打ちゃ当たるです。キャノンのズーム付き、今度は被写界深度を考えて
バックをぼかします。絞り優先で。。

宮司さんが奉納舞をされています。
この鹿児島神社では4舞台と薩摩琵琶があります。
全て宮司さんが、、、しかし残念なことにこの夏継承者が途絶えてしまいました。
二十歳でした。苦難を乗り越えての舞、ありがたく拝見しました。

一昨日やっとこの時の写真をご送付しました。

鹿児島神社は、桜島をご神体として三方に配置されていたと
あります。リンクからどうぞ。

☆こちらはその一社・鹿児島神宮

http://hayato.com/jisya/kagoshima.html

 

コダマ 信仰

 投稿者:荒尾和史  投稿日:2009年11月21日(土)10時23分17秒
返信・引用 編集済
   ヤッホーの現象その物理的原因も「木霊(亀齢ではなく)=こだま」

 そしてコダマといえば 東海道算用新幹線の鈍行..ではなく「児玉源太郎」

 児玉トラベル と パネルクイズ アタック25
 博多ハナマル「アタックチャ〜ンス」

 リンク先は 「海底に眠る秘密の..」お話

http://www.nttwem.co.jp/knowledge/anecdote/13.html

 

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