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Re: ご無沙汰です。

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月23日(月)19時08分54秒
返信・引用 編集済
  > No.7351[元記事へ]

かまどさんへのお返事です。

> 竹内様
>
> お伊勢さんの宇治橋渡り初めの写真、いいポジションで撮れてますね。だいぶ早く行かれました?
ご無沙汰です! かまどさん!
現着6:45。 定位置到着7:30。 もう足が棒のようでした。
しかもばあさん・爺さん集団が三脚を蹴るわ、脚にしがみつくわで大変。
その後は雪崩のように押し寄せて、幸い背後を木で固めていたためポジションは維持した
ままで撮影できました。 伊勢神宮の撮影合戦はかなり根性とずうずうしさがないと
無理かも。

名古屋方面からだと交通規制がかかって、早く行かないと封鎖されてしまいますので
物理的にも無理。 ちなみに16:40より初渡り記念お守りがもらえましたが、
そこまで待つ体力は残っておりませんでした。
 

ご無沙汰です。

 投稿者:かまど  投稿日:2009年11月23日(月)18時48分34秒
返信・引用
  竹内様

お伊勢さんの宇治橋渡り初めの写真、いいポジションで撮れてますね。だいぶ早く行かれました?
 

Beat it!

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月23日(月)16時43分30秒
返信・引用
  突然のBeat it!
名古屋で昨日行われました、 こういうイベントどんどん期待します。

 

Re: 月読社

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月23日(月)14時44分17秒
返信・引用 編集済
  > No.7348[元記事へ]

とみたさんへのお返事です。

ご無沙汰で御座います。母親が池田町に入院しましたので見舞いも兼ねて横蔵寺に行ってきたところで御座いました。お変わり御座いませんか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E8%94%B5%E5%AF%BA_%28%E6%8F%96%E6%96%90%E5%B7%9D%E7%94%BA%29

さて! 闇の日本史も壱岐に行きました記事を闇の日本史「数と形」壱岐編にこんなことかいております。

もうひとつ忘れてはならないキーワードは「八幡」でしょうか。

『<壱岐巡り>さんが詳しく紹介するのは、以前闇の日本史でご紹介した<雪連宅満の墓>(石田町)。その内容は魏志倭人伝に登場した不毛の地から同じ弥生期に目覚ましい発展を遂げ、大和朝廷と密接な関係が出来た本当の訳が解き明かされる事になる。
話しは4世紀に遡る、芦辺町・<月読神社>は484年天月神社を壱岐の県主・忍見宿禰(おしみのすくね)が壱岐から京都に分霊された事が始りとされる。
その前に少々場所を場所を移そう!
ここは兵庫県宍粟郡千種町天児屋・天児屋鉄山西山遺跡
「土地の人はいう自分等は「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」の末裔であると。天児屋根命の末裔はここに製鉄所を造り営んだ。」(鳥羽弘毅著「たたらと村」参照)
実は雪連宅満の遠祖はここに出て来る「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」であり、県主・忍見宿禰(おしみのすくね)も「天児屋根命」の末裔を名乗っている。以前紹介した福岡・春日の名前の由来も、
「天智天皇が皇子として長津宮(福岡)にいるとき、この地に天児屋根命の神籬(ひもろぎ)(神籬(ひもろぎ):神が降臨する樹木の事)があり、768年藤原田麻呂が創建した「春日神社」があったから」といわれるが、なぜ藤原と天児屋根命が関係しているかが興味深い。アマテラスが天岩屋に籠り天空が闇の包まれた時、八百万の神々が占いをさせ、祝詞を奏上したのが天児屋根命である。そして天児屋根命は「中臣連等之祖(なかとみのむらじらのそ)」とされ、中臣氏の始祖である。天児屋根命は「解除(はらえ)の太諄辞(ふとのりと)を掌(つかさど)り宣(の)らしめた」がみうけられスサノオとも関係があった。(学研「日本の神々の事典」参照)
前述兵庫県宍粟郡千種町天児屋地方との関係はスサノオ絡みであろうが、天児屋根命と鉄との接点は見つけだす事は出来なかった。福岡・春日は文字通り藤原の関係からで、天児屋根命は天津神神籬(ひもろぎ)奉斎という祭祀を司る神でった。中臣鎌足にみる中臣一族はもともと宮廷祭祀に関る一族で、天津神と皇族の中を取り持つ「仲執(なかと)り持(も)ち」が名前の由来である。当然ながら天児屋根命は占いや祝詞を奏上した神であるから、それを最初に行った人物という事になる。

天児屋根命のもう一つの末裔 壱岐の県主・忍見宿禰(おしみのすくね)も、興味深い経緯で京都に昇る。月読神社が「壱岐から京都に分霊された」理由が面白い。
紀元4世紀末、阿閇朝臣事代が任那へ向かう折り立ち寄った壱岐で月読神社の祭神・月神が、神かかって「この地に奉れ」といったことを事代が天皇に奏上。現在の京都洛西松尾を奉献し、松尾という一族が忍見宿禰(おしみのすくね)を壱岐から招き入れ祖とし、その末裔が現在も月読宮の宮司を勤めているという。(ちなみに新羅が任那を滅ぼしたのは562年、聖徳太子が摂政になったのは562年である)

忍見宿禰が京都へ招かれた事によって特殊技能を見に付けたという。それは<卜占>であったとHP「壱岐巡り」さんは書いているのだが、実は反対ではないかと筆者は考えている。忍見宿禰の祖・天児屋根命は元々<卜占>を得意としており、末裔である忍見宿禰は当然以前より<卜占>ができたはず。このため大和朝廷と関係があった阿閇氏に京都に呼ばれたのではないかと想像する。天児屋根命がなぜ以前から<卜占>を得意としていたかは、航路の拠点であった壱岐という土地柄が影響して前回ご紹介した<持衰>を職とした一族であったからではないかとと想像する。このため雪連宅満も<卜占>を扱う事が出来たと考えられ、彼が遣新羅使に任命されたのは<持衰>のような役割を持っていたからであるとされる。雪連宅満の父の名を「伊伎連古麿」といい、「伊伎」は「伊岐」「壱岐」であり、後の壱岐氏に繋がり<卜占>を専門に扱う一族となっていく。そして壱岐氏は卜占官となり卜部となっていった。


少々話しは変る。これは京都・木島坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)通称「木島神社」の<3柱の鳥居>である。京都・嵐山線「蚕の宮」駅といえば通りが良い(地図には「蚕の社」と書かれている場合もある)。天之御中主神外四柱を奉る神社で創建不詳であるが、「続日本書記」大宝元年(701)四月三日の条にみられるという神社であるという(神社縁起参照)


この神社変った神紋で<蓮>を用いている(注:文中改訂版「秦氏関係神社の紋」)。この珍しい家紋を用いているのは松尾氏と伊岐氏である。そう! 雪連宅満の家系・伊岐氏と同じ名前である。
同HP記載内容によると、戦前<雪連宅満の墓>に盆の十六日に参拝に訪れた一行があり、彼らの姓は<松室><伊岐>だったという。<松室>とは後の松尾であり、京都・月読神社の宮司だからと思いがちなのだが。


実は雪連宅満の母親は下野守秦大魚の娘だというのだ。

この複雑なパズル、そろそろ解けた方もいることだろう!
京都洛西月読神社は、実は松尾大社の末社なのであり、<蓮>を家紋にもつ<松室><伊岐>一族は<秦一族>(多くの新羅系技師を傘下においていた一族)なのである。
秦一族は秦の始皇帝を遠祖とし応神天皇期の3世紀には日本に帰化したといわれている。その際応神天皇は九州・筑紫から大和ヘはいったとされ、神武東征に類似する点が多くあり、応神天皇を祭るは大分・宇佐八幡。
同HPでは壱岐・月読神社延長5年、延喜式では芦辺町箱崎の八幡神社。774年壱岐卜部道作が卜占の任を果したのは宇佐八幡と八幡には縁がある。八幡はヤハタであって、やはり秦氏との繋がりが深い。

秦氏の信仰していた祭神として有名なのが<伊奈利神(いなり)>現在の稲荷で<稲成り>とも解釈され、日本の稲作技術と共に日本中に行き渡ったが、そのためかどうかは定かではないが秦氏の家紋は<稲穂>である。<稲穂>で連想させるのは暦=農耕暦=陰暦であり「月を読む」=「月読」
 日本書記では「月読尊はアオウナハラの潮の八百重(ヤオエ)を治すべし」「月夜見尊は日に配べて天の事を知らすべし」がみうけられ、(八百重とは<非常に隔たっている>(広辞苑)事を意味する)。アマテラスの命で保食神(うけもちのかみ)のもとに降りて行くが、保食神が山海の珍味を口から出すと「汚らわしい」と激怒して殺してしまう。それをアマテラスに報告すると「お前の顔など見たくない」と叱咤され、お互い顔をあわさなくなった(月と日は一緒に出ないの比喩?)。その殺された保食神の体から出たものは、<牛馬><蚕><稲>なのである(学研「日本の神々の事典一部参照)。
後、秦一族は朝廷の金庫番となり京都・太秦に集結する。太秦は「絹織物をうず高く積んだ」ことに由来し養蚕、機織りも得意としていた一族であった。

さてこれは原ノ辻遺跡から出土した「床大引材」と復元図である。高床建物の床を支えるための物であるが、「ホゾ」と「込栓(コミセン)」の穴が有りており建築に関しても高度な技術を持っていたとされる。少々強引なコジツケであるが「天児屋根命」の名前の由来は「小さな屋根の建物」で建築物とも関係が深い。勿論一般的に歴史で習う<表の秦氏>は聖徳太子の時代に数々の建築物を建てたので有名である。偶然か?

5世紀、秦大津父は巨万の富を有していたと言われている。それは丁度、継体天皇期と重なる。継体天皇の出自と死は謎とされる。その頃、九州全土いや全国を震撼させる<乱>が勃発する。後の九州ツアーで見たもの、<乱>をおこなった人物の文化は、新羅と密接な関係をもっていた。そして中国の文献「隋書」のなかで次のような記述が見受けられる。

「文林郎裴清世(ぶんりんろうはいせいせい)は百済、竹島を経て南に耽羅(たんら=済州島)を望み、都斯麻(つしま=対馬)を経て一支(いき=壱岐)、継いで竹斯(ちくし=筑紫)国に至る。そして叉東して秦国に至る」(学研「聖徳太子の本」参照)

学者は大和辺りを模作するが、「隋書」には次の様にも記述されている。
「阿蘇山有り」!』
 

月読社

 投稿者:とみた  投稿日:2009年11月23日(月)13時34分4秒
返信・引用
  > No.7345[元記事へ]

お久しぶりです。今日は暖かでシニアにはありがたいです。


nickさんと闇の日本史@竹内さんへの話に割り込ませていただきます。

> さて! 「隼人の神は古来、月と日」といわれているのですか。
> 非常に興味深いですねぇ。 八幡社は全国に沢山あるので共通点を見出すのは甚だ困難な
>それが月読社とくっつくと全国的に見ても少ないのではないでしょうか。
> なぜ「隼人の神は古来、月と日」というのか、非常に興味があります。

私も大いに気になります。

記憶から書きますので、調べていませんが。

月読神社は、確か 木津川の畔、京田辺の大住にありましたでしょう。あそこは隼人舞をしますね。大隈隼人が居ついたところかと。

月読神社は、壱岐の月読み神社が本山。これを京都の山代葛野の秦氏の領地に祭らせますね。壱岐の県主の先祖が仕えた。

雄略の後の、顕宗3年(487年)です。

月読も秦氏が絡んでいる。

宇佐八幡は秦氏ですね。あの辺りは秦氏がたくさん住んでいた。

8世紀初めの隼人の乱には、宇佐から豊前や豊後の郡司クラスが押しかけて鎮圧している。

秦氏の後裔だと考えますが如何でしょうか。

秦氏は、西域の北方の民か、匈奴やトルコ系の王は、天神、地神より生まれ、日神と月神を拝む。月の満ち欠けで軍の進退を判断します。

日月は楽器の琵琶にも彫りこまれます。

はたして、隼人の日と月は何を意味するのでしょう。
 

ハヤブサの人

 投稿者:荒尾和史  投稿日:2009年11月23日(月)10時12分11秒
返信・引用 編集済
   ラーの神
 http://ja.wikipedia.org/wiki/ラー
 日の出はケプリ 昼はハヤブサ 夜は 雄羊

 他の携帯はそうでもなくなったのですが(昔はそうだった)
 iPhoneは  今も 頭の中が煮えたぎるようになるので 携帯電話としては使ってません。

 なお、私自身は「彼氏彼女」という 表現を使う人は 苦手です。でも「ダーリン」「サマンサ」は問題なしです。
 あれ?

 リンク先は このほど 東大を旗ふりにして学会的討論をはじめたといわれる 新技術 WIKI です

http://ja.wikipedia.org/wiki/ラー

 

Re: 勝者の作る歴史

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月22日(日)23時19分31秒
返信・引用
  > No.7337[元記事へ]

荒尾和史さんへのお返事です。

>  明治の頃 海底ケーブルのおかげで ニューヨークから長崎への伝達は
>  数時間 なのに 長崎から東京まで 3日間かかるという 状況も
>  生まれていたとか 書かれてましたが 本当なのかな。

ちょい亀レスですが
鳥羽で通信技術の研究開発をやっていた、というのは
無線通信です。
今の携帯電話通信の基礎はここで生まれたとかいう噂もあります。
明治初頭のお話。

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

Re: 写真館

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月22日(日)20時18分47秒
返信・引用
  > No.7344[元記事へ]

nickさんへのお返事です。

> その鹿児島神宮で、最も賑やかな祭りと云えば
> 春を呼ぶ「鈴懸け馬踊り」の初午祭りです。
これ(下の写真)で御座いますよね。

> こんな所にも皆さんが「隼人の神は古来、月と日」
> と云われる所以があるのでしょうか。
> ☆帖佐八幡神社の浜下り
> 鳥居の向こうは桜島です。
> 由来は、寺社探訪の「帖佐八幡神社」に

さて! 「隼人の神は古来、月と日」といわれているのですか。
非常に興味深いですねぇ。 八幡社は全国に沢山あるので共通点を見出すのは甚だ困難な
事でありますが、それが月読社とくっつくと全国的に見ても少ないのではないでしょうか。
なぜ「隼人の神は古来、月と日」というのか、非常に興味があります。
 

Re: 写真館

 投稿者:nick  投稿日:2009年11月22日(日)18時24分21秒
返信・引用
  > No.7340[元記事へ]

闇の日本史@竹内さんへのお返事です。

> nickさんへのお返事です。
>
> この月読さんが着ている衣装と文様も注目したいですね。
> 名古屋で言えばまるで蒔能に出てきそうな豪華絢爛。
>
> さて! 月読さんは伊勢では「げつぞくさん」っていうらしいです。というのも
> 月読さんは「月讀」と書くからとか。 ちなみに今住んでいるところから数件先が
> 月読神社ですが東海では余り見ないようです。

当地の鹿児島神宮の写真をアップする
つもりがポストを押してしまいました。

その鹿児島神宮で、最も賑やかな祭りと云えば
春を呼ぶ「鈴懸け馬踊り」の初午祭りです。
長いことこれが例祭かと思っていましたが
そうでは無かった。
何と秋の「十五夜祭」なんですね。
こんな所にも皆さんが「隼人の神は古来、月と日」
と云われる所以があるのでしょうか。

現在、神宮のご神木は「豊玉彦命」を祭祀する社殿の
上部に位置します。
ここで神事を行い、社殿では「隼人舞」を奉納します。
この「豊玉彦命」の社殿には明治以前は「猿田彦」を祭祀しています。

寺社探訪の鹿児島神宮をご参照下さい。

今日は、帖佐八幡神社の浜下りでした。
帰途雨にやられましたが、祭りは小雨程度で、、いい祭りでした。
行列の武具は川内の戦国村からのレンタル衣装でした。
雨には弱いですから、、祭りも大変です。

☆帖佐八幡神社の浜下り
鳥居の向こうは桜島です。
由来は、寺社探訪の「帖佐八幡神社」に

http://hayato.com/jisya/kagoshima.html

 

三河あなどれん!

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月22日(日)16時54分13秒
返信・引用
  漂泊民のお勉強に着手いたしました。

宗教者にとって三河は結構重要なポイントだったんですね。
『舞』のキーワードともリンクします。
和歌山県に「野村万之丞」が居たことともなんとなく繋がっていく。。。

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

Re: またまた写真

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月22日(日)16時49分6秒
返信・引用
  > No.7338[元記事へ]

闇の日本史@竹内さんへのお返事です。

>  「緑・黄色・赤・白・青」
>
> 黄色は特別な名前が付いていて「百綱(神道という箇所もあります)」といって、神様がこれを伝って湯に入ります。

鬼門(かみど)っすか。
しかしなんで緑が先で、黄色が真ん中でもなくって、なんだろう。。
荒尾さんの五色不動尊巡りの記事読み返した方がよいのか??

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

帝都物語

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月22日(日)16時09分14秒
返信・引用 編集済
  参加者の方々にはお話いたしましたが、闇の日本史発足の発端は荒俣宏氏の
「帝都物語にであったから」でありますが、その主人公とも言うべき帝都
転覆企む軍人@加藤保憲の出身地は、ちなみに紀州のこんな場所。

これに関して、斎藤先生も文章を寄せていらっしゃった記憶があります。

この地を私がなぜ知って二度行ったことがあるかというと晴明史跡が
結構あるからです。  村崎さんも関係が深かったりして!

なにやら呼び寄せられているような??

 

Re: 写真館

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月22日(日)15時59分56秒
返信・引用 編集済
  > No.7334[元記事へ]

nickさんへのお返事です。

この月読さんが着ている衣装と文様も注目したいですね。
名古屋で言えばまるで蒔能に出てきそうな豪華絢爛。

さて! 月読さんは伊勢では「げつぞくさん」っていうらしいです。というのも
月読さんは「月讀」と書くからとか。 ちなみに今住んでいるところから数件先が
月読神社ですが東海では余り見ないようです。

私見ですが、村崎さんのダーリンさんが調べていることと鹿児島に月読さんが多いことは
関係があるのではないかとふんでおります。ちなみに月読さんは長崎県の壱岐島が本拠地であります。 実際は大層な神社があるわけではなく、こんなところです。
 

闇の世界は現場主義 (数編)

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月22日(日)11時35分56秒
返信・引用 編集済
  さて先週花祭り参加者の方や神社近くにお住まいの方は、お気づきと思いますが
大変な混雑だったと思います。 11月15日は「七五三」ですよねぇ。
最近では旧暦11月15日に近い土日ならいいじゃん! という声もちらほら。
ところが、ホントはそうはいかない!?

それはなぜ旧暦11月15日かというと、旧暦のこの日はは「二十八宿の鬼宿」
「鬼宿」とは「鬼が出歩かない日のこと」を意味し、そういうことを知った上で
最初の「花」へ出向くのもなかなか趣があろう事かと思います。

さて! 算数的には「3・5・7」は奇数にして素数(割り切れない数)であります。9を入れないのは素数ではないからかもしれません。道教では1桁の奇数を重んじる傾向にあり、その中でも素数は奇数偶数なく好まれるようです。

今度は闇の日本史の花祭り編でやはたのおろちさんが以前書かれた「舞の種類に関する一考察」の中からの抜粋です。

地固めの四季は

 1:四方立て
 2:おしめぐち
 3:へぼみ→輪×3
 4:おしめぐち
 5:あわせ×3
 6:おしめぐち
 7:相手舞
  (1〜7は「えんよう(3拍子)」と2拍子で都合2セット行う)
 8:反閇
 9:四とこ反閇
 10:あくま
 11:相手舞(5方)

ばちの舞
1:四方立て
 2:おしめぐち
 3:へぼみ→輪×3
 4:おしめぐち
 5:あわせ×3
 6:おしめぐち
 (1〜6は「えんよう(3拍子)」と2拍子で都合2回行う)
 7:てほへ舞

花の舞の四季は
 1:四方立て
 2:おしめぐち
 3:へぼみ(すくみ)→輪×3
 4:おしめぐち
 5:あわせ×3
 6:おしめぐち
 7:総入り

そして古戸において私が観察してメモしたところによると、
『1つのフォーメーションの同じ位置で右回転、左回転を交互に繰り返すのだが、始めの1回目は7回(7)後の2回は9回(9)回転する。つまり同じ位置で3回、回転することになる。』

ここに出てくる数字のみをピックアップすると「3・5・7・9」。
つまり「1桁の奇数」ですよね。

 

Re: またまた写真

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月22日(日)11時06分1秒
返信・引用 編集済
  > No.7336[元記事へ]

村崎樹里さんへのお返事です。

> やっぱ意味ある順番なんですね。
> 何宗なんだか何教なんだか何道なんだか、てのはありますが、思想の原点になにかあるんですね。。。

そうなんですよね。
現地で天井につけられた紙リボンの事をお話したと思いますが、慎重に細かく見ていると
判るのですが、実は同じ順番なのです。この地区にはないですが、例えば古戸ですと
名前はうろ覚えなのですが確か「ざんざ」という天蓋(他の地方ではこういいます)に
同じように紙リボンがつけられているのですが、その全体が下記の写真です。
右が太鼓叩いている箇所で右奥から時計回りに

 「緑・黄色・赤・白・青」

黄色は特別な名前が付いていて「百綱(神道という箇所もあります)」といって、神様がこれを伝って湯に入ります。
 

勝者の作る歴史

 投稿者:荒尾和史  投稿日:2009年11月21日(土)22時50分32秒
返信・引用 編集済
   ワーテルローの戦いで負けた ナポレオン
 情報網により素早くその情報を手にした あるグループが
 その後の歴史を方向づけたのではの研究が 一部の向きで されているようですが..

 と..さてこのはなし
 最近 30分 フライング した !? で色めきだった という報道もありましたが
 裏には おそらく そんな関係の話があったのではないかと..

 素早い情報網の技術は 日本では戦国時代は 忍術 が担当?という話になりますが
 さしずめ 現代なら チャンネルをひねれば観れる ライブ形式が.. とってかわってる?
 のかもしれませんね。

 明治の頃 海底ケーブルのおかげで ニューヨークから長崎への伝達は
 数時間 なのに 長崎から東京まで 3日間かかるという 状況も
 生まれていたとか 書かれてましたが 本当なのかな。

 そういえば 神戸の震災の国の中枢への 報告が 遅れた話を..思い出した

http://j-net21.smrj.go.jp/watch/sanpo/entry/20080901.html

 

Re: またまた写真

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月21日(土)21時15分16秒
返信・引用
  > No.7332[元記事へ]

闇の日本史@竹内さんへのお返事です。

> 少々前に荒尾さんが回られた東京の五色不動の配置と同じ衛星写真で見てください。
> 南西の隅から反時計回りに追っていくと
>
>  「目黒・目黄・目赤・目白・目青
>
> 同じでしょ!

Σ( ̄□ ̄)そういう繋がり!?

やっぱ意味ある順番なんですね。
何宗なんだか何教なんだか何道なんだか、てのはありますが、思想の原点になにかあるんですね。。。

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

Re: コダマ 信仰

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月21日(土)21時12分37秒
返信・引用
  > No.7333[元記事へ]

荒尾和史さんへのお返事です。

>  リンク先は 「海底に眠る秘密の..」お話

石垣島の電信屋、行ったことあります。
写真があるけど、win側から移行してないのでうpがめんどくせー(ほぅらこの先送り姿勢が私さそうさそうやって間延びした人生送っているのさああそうさ)

明治の時代、鳥羽佐田浜(日和山)と菅島で通信の開発研究をしていたらしい、というお話もあります。
恐らく軍事開発だったのであまり表だった記録がないと思われる。
ウチの親戚が関わっていた(知らずに宿貸したとかだけど)形跡があります。。。

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

Re: 写真館

 投稿者:nick  投稿日:2009年11月21日(土)12時29分16秒
返信・引用
  > No.7321[元記事へ]

闇の日本史@竹内さんへのお返事です。

> nickさんへのお返事です。
>
> この月読みさん素晴らしい!

どうもありがとうございます。
数打ちゃ当たるです。キャノンのズーム付き、今度は被写界深度を考えて
バックをぼかします。絞り優先で。。

宮司さんが奉納舞をされています。
この鹿児島神社では4舞台と薩摩琵琶があります。
全て宮司さんが、、、しかし残念なことにこの夏継承者が途絶えてしまいました。
二十歳でした。苦難を乗り越えての舞、ありがたく拝見しました。

一昨日やっとこの時の写真をご送付しました。

鹿児島神社は、桜島をご神体として三方に配置されていたと
あります。リンクからどうぞ。

☆こちらはその一社・鹿児島神宮

http://hayato.com/jisya/kagoshima.html

 

コダマ 信仰

 投稿者:荒尾和史  投稿日:2009年11月21日(土)10時23分17秒
返信・引用 編集済
   ヤッホーの現象その物理的原因も「木霊(亀齢ではなく)=こだま」

 そしてコダマといえば 東海道算用新幹線の鈍行..ではなく「児玉源太郎」

 児玉トラベル と パネルクイズ アタック25
 博多ハナマル「アタックチャ〜ンス」

 リンク先は 「海底に眠る秘密の..」お話

http://www.nttwem.co.jp/knowledge/anecdote/13.html

 

Re: またまた写真

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月21日(土)06時57分19秒
返信・引用
  > No.7331[元記事へ]

村崎樹里さんへのお返事です。

> > チベットについて書いたサイトなのですが、「緑」は「黒」だとしています。

> この、五色の並べ方(緑が一番上)にも着目すべし?

じゃあ! こういうのは実際に見てみましょう!

切れ端の一部を超拡大してみてみると、どうです! 御園も古戸も同じ並び。

 「黒(緑)・黄・赤・白・青

さて! この順番覚えて見えますでしょうか?

少々前に荒尾さんが回られた東京の五色不動の配置と同じ衛星写真で見てください。
南西の隅から反時計回りに追っていくと

 「目黒・目黄・目赤・目白・目青

同じでしょ!
 

Re: またまた写真

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月21日(土)00時19分15秒
返信・引用
  > No.7328[元記事へ]

闇の日本史@竹内さんへのお返事です。

> チベットについて書いたサイトなのですが、「緑」は「黒」だとしています。


この、五色の並べ方(緑が一番上)にも着目すべし?

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

Re: 花祭り

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月21日(土)00時15分53秒
返信・引用
  > No.7329[元記事へ]

闇の日本史@竹内さんへのお返事です。


> じゃあ! このコアーの部分とは何かというと、このキーワードは「伊勢」。

うわぁ。(反応せなしゃーないやん)

伊勢ったって、神宮ってことじゃないですよね。
別スレッドの五色の話とも兼ね合わせると、
古代信仰がベースと考えたくなるし、
古代信仰と言えば自然信仰、ミジャグジさん、、、鳥羽ではシャグジンさん。。。
白山、天白、ミジャグジなどなど古代信仰とひとくくりにするのも難しい話があったりしますが、伊勢地方にはこれら全てがあり、後に鳥羽では江戸時代になってもシャグジンさん(社宮司/石神両方アリ)が信仰されていたというてところからして、まぁミジャグジ路線で追っかけてみていいかな、といったところでしょうか。。。

あの、御薗で熊野神社ののぼりにぶら下がっていた赤いモノ
座布団をまるめたような赤いモノは庚申さんにもさも似たり。
庚申さんもどきの下にある伊勢大神楽と結び目が同じ紐。鬼さんも背中にしょってるあの紐。

紐追っかけて自然信仰とリンクしたらうれしい?

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

Re: 花祭り

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月20日(金)21時20分47秒
返信・引用
  > No.7314[元記事へ]

闇の日本史@竹内さんへのお返事です。

さて! 誰も反応しないので追記しておきますと、歌ぐ羅が示す70%のコアー部分と
30%の分化された部分があるということから推測される事象は、この花祭りは実は
コミュニティー共通の神事が母体になって、後に地区毎の独自性を有してきたのでは
ないかと言う事がわかるわけです。 これを名づけて「大神楽」なんっていいます。

では、その前はどうだったか?

この地区の交通手段とコミュニティーを物語っているのが、この唄。

> <古戸>
>  「諏訪の池 みなそこ照らす こだま石
>      袖もぬらさでこぐちをかく」
> <御園>
>  「神石に よってさわるな 杖つくな
>      拝みて通れ神のかよふ石」

諏訪にあるのは「池」だと言っています。 なぜか?
それは諏訪には行っていないから湖ではなく池だと言っています。
でも御園は「池」とも行っていない、それは共通の「児玉石」をピックアップしている。
なぜか?

これは簡単!
ここに来ていた人が重要視していたのは諏訪明神ではなく児玉石だったから。

これは何を意味しているのか?
それは、現東栄町に諏訪を広めた「人」は、諏訪明神ではなくてミジャクジの信仰を
持った人=湛巡航によるコミュニティーが波状したものであるという結論を導き出す
ことができます。

じゃあ! このコアーの部分とは何かというと、このキーワードは「伊勢」。
 

Re: またまた写真

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月20日(金)21時07分34秒
返信・引用
  > No.7327[元記事へ]

村崎樹里さんへのお返事です。

> 闇の日本史@竹内さんへのお返事です。
>
> > それに主役はやはり、優雅さが注目点でしょうか!!
>
> 赤、紫(青?)、黄、白、そして緑
>
> 5色ではあるけどなぜこの五色?

勿論ご存知と思いますが、五行説に基づいていると思っております。
じゃあ! 無い色はなんじゃ?  黒色で緑と青が青系としては重複していますね。
実際昔は「青」と「緑」の区別がありませんでしたから、当然ながら「青」となるはず。
すると「緑」は、なんじゃい? ということになります。

こんな事例があります。
チベットについて書いたサイトなのですが、「緑」は「黒」だとしています。
これがそのまま適応できるかは定かではありませんが、ただ別の「花」である古戸でも
同じ配置であると意味があるかもしれません。

http://www115.sakura.ne.jp/~byunbyun/tibet1/tibet23.html
 

Re: またまた写真

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月20日(金)20時06分5秒
返信・引用
  > No.7326[元記事へ]

闇の日本史@竹内さんへのお返事です。

> それに主役はやはり、優雅さが注目点でしょうか!!

赤、紫(青?)、黄、白、そして緑

5色ではあるけどなぜこの五色?

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

またまた写真

 投稿者:闇の日本史@竹内  投稿日:2009年11月20日(金)19時41分42秒
返信・引用
  少々花は曇りでしたが色彩にもご注目!

「辻固め」
「天井を飾る飾りつけ」

それに主役はやはり、優雅さが注目点でしょうか!!
 

米沢 守

 投稿者:荒尾和史  投稿日:2009年11月20日(金)11時40分43秒
返信・引用
   「天地人」 最終回のアピールが 濃い 昨今..でしょうか。

 天井で物音.. 鼠かな?
 

濃紫 の 女性

 投稿者:荒尾和史  投稿日:2009年11月19日(木)22時55分28秒
返信・引用
   おかめ と 月よみ?

 おかめ=阿亀

 あーれ? あかめなら赤目?

 六角さん 鉄の演技は 異様にうまかった? ではなく

 鉄道好きの設定は 役者側からの リクエストだったですか..

P.S.
 熱田秘宝館 結構お若い女性が(その年なら 赤の袴装束が普通)のところ
 濃紫でお仕事されてて? 個人的に 「えー?」

http://www.youtube.com/watch?v=TzhYDJO9qQI

 

花祭り反芻・お爺

 投稿者:村崎樹里  投稿日:2009年11月19日(木)21時46分35秒
返信・引用
  ウチでは「あのお爺」で通っている、あのお爺。
どのお爺?

夜通し、湯飲みやら五平餅やらを握りしめ、
舞庭の周りを徘徊していたお爺。
舞と舞の間で、舞庭に観衆がわらわらと集い、やんややんやと盛り上げているその中で
片手に五平餅を掲げ、もう片方の手を腰に回し、ゆっくりと首を振って見得を切る。
「おいおい」
「そこまでやるか」
「本気になるなよ」
辺りにいる若集が野次をとばす。

ああお爺。あなたはそうやってずっと舞手を担ってきた町の古老なんでしょ。
ああお爺。宵の口にも、明け方にもあなたは舞庭にいた。
ああお爺。「もう寝ぇや」「今日は祭りやんけ」いてもたってもいられずに、あなたはそこに居るのでしょう。

ああお爺。祭りの真の主役はあなたかも知れない。

ああお爺。岩田準一ばりに昔語りを聞いてみたい衝動を呼び起こす。

http://picasaweb.google.co.jp/myon.yanenka/QURFSE?feat=directlink

 

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